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愛された記憶 [日記]

自分を一番愛してくれた人は誰だろう。そう思って思い出そうとすると、私の場合『おじいちゃんとおばあちゃん』というふうに行き当ります。母方の祖父と祖母。このふたりが私一番愛してくれました。このふたりに愛されたという思い出だけでも生きていけるほど、多分私のことを愛していて、そして愛していることをちゃんと表現してくれた人たちです。人間は愛された経験や記憶がないと、きっと正常に育たない、生きていけない動物だと思います。

たとえ愛していても、愛していることを表現して相手に伝わらなければ、相手にとって愛されていることにはならないのです。これは親子でも夫婦でも同じことだと思います。しかし日本人の場合、人間が古いと、この愛情表現が非常にヘタです。特に男性は、愛していることを表現するのに、ためらいがあるように思えます。そして年代が古ければ古いほど愛情表現がヘタ。年配の男性など、愛情表現をすると損をするとでも思っているのかと感じるほど、愛情表現がヘタで、出し惜しみするような気がします。それって、良い結果を生まないと思うのですけどね。その点若い男性は、愛情表現をすることは必要だと理解しているように思えます。年代の差ってすごいと思いますよ。

愛されている実感、愛されて育ったという実感って、人間にとってとても重要で、それを経験して成長した人の方が、安定した精神状態をしていると思います。お金があることはとても重要で、私はいつもお金が欲しいと思っていますが、愛情という目に見えないものを欲しいと思っている人も多いのではないかと思います。きっと夫には愛されていると思うので(夫の方でもきっと同じことを思っていると思うので)そこそこ安定した精神状態ですが、そういう『きっと愛されている』という曖昧な確信ですら持てない人は、お金では買えない、満たされない思いを抱えて生きているのかもと思うのです。

今日は、何だか重い話題でした。




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